独自手法にメリットがあるなら、それは尊重しますが。
そもそも手法として確立できていないような混乱状態では、広く使われている手法の「適用」が第一だと思います。
適用にあたっては、広い選択肢から選ぶ必要があります。そこからカスタマイズが必要です。
選択肢の提示ができない、つまり一手法しか知らないなら、それは選択する準備すらできていないということです。
そこにある前提は、より良い効果を狙うという目的です。
旧態依然でよいなら、手法を取り入れること自体が無用なのです。
世間で言われる独自手法のうち多くは、メリットが高いから使われているのではなく、
ただなんとなく長い間、このやりかたでやってきた
というものです。
それで問題が無いあるいは向上意識がないなら、そのまま続けてりゃいいんですよ。
変えることになれないといけません。ウジが半日で羽化するような、フライイヤーの世の中では、昨日の最適解は明日の最悪解であることもあるのです。
長い間になじんだやり方のほうが効率が高くても、アウトプットがしょぼければ、気分の問題です。
あるいは前後の工程がしわ寄せを食っているかもしれません。
変えても効果が薄ければ、もう一度変えないといけません。その際に遠くの目標に向かって方向転換すればよいのです。変えることだけにイミがあるのではないけれども、変え続けることは必要です。
原理原則で言えば、やりかたを変え続けるやり方、だけが正解ということになります。個別の方法論の比較は、むしろどうでもいいかもしれません。
伝統工芸で表彰される職人さんでも、日々変革の日々です。トライ&エラーを繰り返しておられます。当然のことです。変わらないのはアウトプットつまり製品の品質向上だけです。
前と同じものを同じ手順を守って作り続けるのは職人ではなくて、ただの無精者なのです。
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