何を知らないかは、知らないということでもあります。
この問題は根が深いです。そもそも自分が今知らないことは、まったく知らないのであり、当然のことながら、これから知ることが何であるか、については事前に知ることが出来ません。
なので、自分が知っていることの中に自分にとって未知の誤りが含まれていたとしても、それを誰かに指摘されるか自分で気付くまでそれは誤りですらないのです。
さて、若者が質問を吐いていました。
ケータイの中ってどうなってるんスカねぇ。
センパイさんの回答はこんな感じ。
そりゃぁケータイ用にカスタマイズされたオーエスが載ってて、その上でケータイアプリが動いてるだけのことだよ。
とかなんとか。
ちげぇよ。
クァルコムのチップセットと、デバイス制御/アプリ用CPUが載ってんだよ。
ケータイの基本機能は、ミドルウェアに入っちゃってっから、アプリはライブラリを叩いてるんだな。
なるほど。
そうそう。
そのライブラリも、IPコアの提供側が用意したサンプルの丸写しだしな。
バス管理のASICだって、コア提供側のマクロをペタペタ切り貼りしてるだけだ。
ふむふむ。
結局ケータイの中って、俺っちがやってる、他人の資料の切り貼りでテキトーにごまかして作ってるプレゼン資料と同じ次元のシロモノってことっスカ?
・・・
『ネズミの嫁入り』、のような話です。
何を知らないかは、知ることができないわけですが、「たぶん俺はXXを知らない/分かっていない」ことは事前に把握することができます。
また、本やインターネットでも知ることができます。
コメント