要求仕様にまつわるエトセトラを書き連ねた良い本があります。

- 作者: D.C.ゴーズ,G.M.ワインバーグ,Donald C. Gause,Gerald M. Weinberg,ヤナ川志津子,黒田純一郎
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 1993/08
- メディア: 単行本
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これはかなり古い本なので、表現などに問題があります。たとえば、「あばずれ」などというようなコトバが出てきます。
要求仕様にあながある、もっと簡単な理由もあります。
それは要求仕様をまとめた人は、要求仕様の定義のプロではないからです。
例えばある人は、システムの要求仕様とは、ユーザが定義するものだと言います。
システムを構築する人は、要求仕様の稚拙さにうんざりし、あるいは自分のしらない業務ドメインの用語に四苦八苦し、こんなことを言います。
この要求仕様書はだめだめだ。
矛盾だらけで、意味の分からない単語が書いてある。
そもそも、なんで機能Aが必要なのかサッパリ分からない。
機能Bで機能Aをかねればいいんじゃないか?
そして膨大なQ&A表を作り、ユーザの時間を食いつぶすのです。
ある人は要求定義は、ユーザからのヒアリング結果を元に、システム開発側が定めるものだとしてこんなことを言います。
ユーザの意見はコロコロ変わる。
前の担当者が言っていたのは機能Aは必須で機能Bはオプションだった。ところが今の担当者は機能Bも必須であるという。これでは要件定義どころではない。
別の人は、要求仕様書をもとに、実装仕様書をまとめて承認を受ければよいと言います。
運用試験の段階になって、実装仕様書にない機能が実装漏れと指摘されても困る。
提出した実装仕様書をきちんとチェックしなかったユーザが悪いのだから、対応はもちろん予算は別見積もりだ。
ユーザは多くの場合、自分の競合他社と戦う前に、自分が雇った開発会社と闘うハメに陥ります。
つまづきの最初の一歩は、要件定義、つまり要求仕様を決めるところですでに始まっています。
そうかといって、移り変わる現実社会で、最初にすべてを決めて金科玉条となすのは、それも間抜けな結果をもたらします。
要件定義の本質は、ユーザと開発の価値観の共有を達成・維持するためのプロセスそのものかもしれません。
いいなりでもだめ、できない理由の大合唱でもだめ。
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